サッチャー時代の英国に学ぶ(8)
人頭税騒動―政権幕引きの前奏曲
1990年3月31日、英国での人頭税(POLL TAX)導入の前日、この新税に反対する大規模なデモ隊がロンドン中心部のトラファルガー広場周辺で暴動を引き起こした。広場近くの建築現場にあった鉄パイプを振り回し、乗用車に火を放ったため、3百人以上のデモ参加者が逮捕されたが、死者が一人も出なかったのが不思議なほど、激しい抗議暴動であった。この人頭税騒動がサッチャー政権幕引きの前奏曲となり、その年の11月に行われる保守党党首選挙への立候補を彼女は断念せざるを得なかった。後継者に選ばれたメージャー首相は党首選への立候補に当たって人頭税の廃止を公約し、翌年の9月末に人頭税は実施後僅か1年半で廃止された。どんな難局をも断固たる信念で乗り切ってきたサッチャー首相にとっては、何とも後味の悪い結末となった忌まわしい出来事であった。
もともと、英国では土地・家屋の評価額に基づいて家主に課税されるレイトという固定資産税が地方税として100年以上に亘り定着していた。サッチャー流の考え方によれば、自治体のサービスの大半が土地・家屋に関連した道路や水道・排水溝の整備であった時代にはレイトもそれなりの合理性があったが、昨今のようにサービスの主体が教育・福祉・運動施設など個人の生活充実に向けて提供される時代には、その直接受益者が自ら負担するのが筋である。レイトのメリットは徴税が比較的簡単という点にあるが、この利点に乗じて福祉の拡充を唱える労働党支配下の自治体がレイトを安易に値上げし、地方財政の放漫化を進めてしまった。彼女はこれに強い嫌悪感を抱き、レイトを廃して世帯の頭数に応じて課税する人頭税に置き換えた訳である。この結果、自治体間の格差が鮮明に焙り出され、同じ大ロンドン地域の中でも福祉ばらまき型の労働党首長の自治体では隣接する保守党首長のところに比べて人頭税の税額が2倍にもなったのには、我々も驚いた。
英国では所得税率は最高35%に抑えられている一方、課税最低所得は妻帯者でも年間100万円程度と低い上、消費税が17.5%と高率である。このように重税感に喘いでいる低所得者層にとって、受益者負担が筋とは云え、1人当たり年間10万円を優に超える人頭税が新たに賦課されたのは、庶民感情として耐え難いことであった。この人頭税騒動は庶民感情を理屈で抑えつけるのが如何に難しいかという教訓を残したのではなかろうか。
(平成8年5月27日付け発行、「週刊、税のしるべ」所収)